2014年第9回
日本構造デザイン賞
松井源吾特別賞

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高橋 てい一(たかはし・ていいち)
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経歴(受賞時)
1924年 中華民国青島市生まれ
1949年 東京大学第二工学部建築学科卒業
1949-56年 逓信省(郵政省)営繕部設計課
1956-66年 武蔵工業大学建築学科助教授
1960年 第一工房創立

1967-95年 大阪芸術大学建築学科教授
1996-2005年くまもとアートポリス第2代コミッショナー
大阪芸術大学名誉教授、第一工房代表

主な作品
佐賀県立博物館(佐賀県佐賀市、1970年、日本建築学会賞作品賞)
大阪芸術大学芸術情報センター(大阪府南河内郡、1981年、日本建築学会賞作品賞、日本芸術院賞、JIA25年賞)
国際科学技術博覧会・迎賓館(茨城県つくば市、1985年)
東京都立大学(現・首都大学東京)国際交流館/図書館(東京都八王子市、1991年、公共建築賞、BCS賞)
パークドーム熊本(熊本県熊本市、1997年)

群馬県立館林美術館(群馬県館林市、2001年、村野藤吾賞)
清水建設技術研究所「安全安震館」(東京都江東区、2006年、日本建築学会作品選集2009)
白河市立図書館(福島県白河市、2011年、東北建築賞、福島県建築文化賞正賞)

主な著書
『風景のなかの階段──高橋一の建築』1996年、新建築社
『高橋一/第一工房 1960-2005』2003年、TOTO出版

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業績:構造との融合が図られた一連の建築デザイン
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佐賀県立博物館。(撮影:新建築社写真部)  

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選考評
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 日本構造家倶楽部から推薦された内田祥哉さんと高橋てい一さんのおふたりに、松井源吾特別賞を授与することを、選考委員会は全会一致で承認した。
 日本構造家倶楽部が構造家ではないおふたりを推薦した背景には、構造設計者たちがおふたりに感じているある「恩義」があったのではないかと思う。「構造デザイン」、あるいは、「構造家」という概念が現在広く共有されているとすれば、その普及に重要なきっかけを与えたのが、このおふたりなのではないかと思うからだ。もともと日本における建築家のあり方にその素地はあったものの、デザインとエンジニアリングの垣根を、デザインの側からというよりも、よりユニバーサルな立ち位置から取り払い、建築家と構造家、さらには施工者が同じテーブルで議論することを実践されてきたのがこのおふたりだからだ。授賞業績は、内田さんが「構造部材の形態による建築デザインへの貢献」、高橋さんが「構造との融合が図られた一連の建築デザイン」。共に、「構造」と「デザイン」が含まれていることが興味深い。
 内田さんの近著『建築家の多様』(2014年、建築家会館企画、建築ジャーナル発行)の中で内田さんはこう語る。「構法とは、材料の組み立て方であり、その選び方のことです。本当は構造と言うべきなんですね。…建築の骨組みは(そんな)構造の一部であって、…強度だけではないんです」。日本電信電話公社時代の内田さんの名作「中央電気通信学園講堂」(1956年)の、ラチス梁の下弦材に1本のアングルが下に開いて用いられ、それが6本集まる結節点ではアングルの開きをぎゅっと絞ってプレートを挟むディテールが思い出される。
 授賞業績の文言に対してのコメントで、高橋さんは、自らがストラクチャーから建築を考えるということを常に心がけてきたことと、ストラクチャーとデザインの整合性が取れたところに建築の美しさが現れるという思いを述べている。打ち放しコンクリートの表現を極めた「大阪芸術大学芸術情報センター」(1981年)は、骨格が即空間の表現であり、二重空気膜構造の屋根の「パークドーム熊本」(1997年)と、塔頂免震の「清水建設技術研究所安全安震館」には共に新しい構造への挑戦がある。
 「佐賀県立博物館」(1970年)ほかの共同設計作品があり、公私ともに仲のよいおふたりに、心よりお祝いを申し上げます。

大森 晃彦(選考委員・建築評論家)

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