2010年第5回
日本構造デザイン賞
松井源吾特別賞

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飯嶋 俊比古(いいじま・としひこ)
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経歴(受賞時)
1948年 神奈川県生まれ
1970年 関東学院大学工学部建築学科卒業
1975年 名古屋大学大学院工学研究科建築専攻博士満了
1975年 飯島建築事務所設立
1978年 名古屋大学 工学博士
1993年- 名古屋大学工学部非常勤講師
日本建築構造技術者協会 元理事
日本建築構造技術者協会中部支部 元支部長
アルミニウム建築構造協議会技術委員会委員

主な作品
1975年 沖縄海洋博シーサイドバザール
2003年 エコムスホール
2005年 M邸
2005年 海の家Ⅱラ・プラージュ
2006年 baccaratシャンデリアショーケース
2006年 tsubomi

著者
『アルミニウムの空間』新建築社、2006年(共編)
『アルミニウム建築構造設計 新たなる建築の可能性』鹿島出版会、2006年

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業績:アルミニウム建築構造の普及・発展への貢献
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海の家II ラ・ブラージュ。   ▶

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選考評
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日本の建築産業において、建築材料としてのアルミニウムが一般化するのは、アルミサッシとしてである。1960年代の高度成長期に、アルミサッシは日本中に爆発的に普及し、住宅地の風景を一変させた。1960年代後半から1970年代にかけて、アルミニウム業界は販路の拡大をめざし、サッシやカーテンウォール以外の部品や構法の開発に取り組むようになる。アルミニウム合金を構造体に使う試みが始まるのも、この頃からである。沖縄海洋博覧会(1975)で建設された「アルミニウム・パヴィリオン」は、その先駆的な試みであるが、すでにこの建築の設計を、飯嶋俊比古氏が担当していることは銘記されてよい。
当時の試みは、現在ではほとんど忘れ去られている。その空白期をもたらしたのは、1973年と1979年の二度にわたって、わが国を襲ったオイルショックである。オイルショックによる石油価格の急騰によって電力価格が高騰し、大量の電力消費を要するアルミニウム産業は、大きな打撃を受けた。その結果、それまでの様々な技術開発の試みは、ことごとく放棄されたのである。
建築業界において、再びアルミニウムが脚光を浴びるようになるのは1990年代末である。その理由は、アルミニウムのリサイクル性が注目されるようになったからである。アルミニウムをリサイクルするには大きなエネルギーを必要としない。循環型の社会にとって、既に市場に出回っている大量のアルミニウムは、重要な建築材料のひとつになりうるのである。
以来、アルミニウム構造の建築について、数多くの研究開発プロジェクトが展開されてきた。飯嶋俊比古氏はそれらのプロジェクトのほとんどに参加し、さまざまな実験の試みを続けてきた。1999年に通産省(当時)のNEDOの助成を受けて研究開発された実験住宅「アルミエコハウス」の構造設計を担当したのも飯嶋氏である。
こうした一連の研究開発を通して、2002年5月に建築基準法が改正され、アルミニウム合金が建築構造材料として正式に認定された。引き続き2004年5月には、国土交通省からアルミニウム合金構造の設計指針に関する通達が出され、アルミニウム構造建築を、一般的な確認申請手続によって審査することが可能になった。これによって、それまでは大臣認定(いわゆる「38条認定」)を受けなければ実現できなかったアルミニウム建築が一般化する道が開かれたのである。飯嶋氏は、こうした一連の法制化の作業にも積極的に参加している。
以上のように、飯嶋俊比古氏は、日本におけるアルミニウム合金構造の進展に対して、1970年代の開発当時から今日に至るまで、一貫して取り組み、寄与してきた。その功績はきわめて大きく「日本構造デザイン賞 松井源吾特別賞」としてふさわしいと考える次第である。

難波 和彦(選考委員・建築家)

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