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松井源吾賞賞牌

松井源吾賞について


 松井源吾賞は、早稲田大学松井源吾教授の早稲田大学退官を機に1990年に創設され、第1回の授賞式が1991年に行われました。その後15回まで継続されましたが、諸般の事情で2005年に終結し、その間に31名(うち外国人4名)が顕彰されました。この間受賞された方々の活躍は目ざましく、構造の担う役割の重要性が認識され、構造設計者の社会的評価の向上に大きな貢献をしています。
 松井源吾先生は、教育者として教鞭をとるだけでなく、優れた建築を創造するには協働する構造設計者の幅広い技術的な貢献が必要だという思想を基に、自ら多くの著名な建築家たちと協働して名建築を創出することで社会に貢献された「構造家」です。
 賞が創設された当時、優れた建築作品に対して建築設計者だけが注目され、多くの褒賞制度によって顕彰される機会がありましたが、その作品が社会的評価を得るには、協働した構造設計者の優れた技術的な貢献が必要です。松井源吾賞は、それまで縁の下の力持ち的な扱いであった構造設計者を顕彰することによって、建築における構造設計が担う役割の重要性を社会に知らせること、そして「松井源吾賞」がこれからの構造設計者の励ましとなり、建築構造界の発展に寄与することを目的として設立されたものでした。現在、「構造家」、「構造デサイン」という言葉が定着したことに対する「松井源吾賞」の功績はきわめて大きいものであると思います。

播 繁




松井源吾賞受賞者
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2005年 第15回
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金箱 温春(かねばこ・よしはる)/豊栄市立(現・新潟市立)葛塚中学校
多田 脩二(ただ・しゅうじ)/中国木材名古屋事業所
増田 一眞(ますだ・かずま)/勝山館跡ガイダンス施設
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2004年 第14回
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磐田 正晴(いわた・まさはる)/二宮のアトリエ
中井 政義(なかい・まさよし)/プラダブティック青山店
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2003年 第13回
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セシル・バルモント/サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2002
浜宇津 正(はまうづ・ただし)/郡上八幡スポーツセンター
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2002年 第12回
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稲山 正弘(いなやま・まさひろ)/岐阜県立森林文化アカデミー
金田 充弘(かなだ・みつひろ)/メゾンエルメス
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2001年 第11回
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池田 昌弘(いけだ・まさひろ)/有田陶芸倶楽部
陶器 浩一(とうき・こういち)/梅田ダイビル
坂 茂(ばん・しげる)/ハノーヴァー万国博覧会日本館および紙管を用いた一連の建築設計
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2000年 第10回
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梅沢 良三(うめざわ・りょうぞう)/鳥取県立フラワーパーク
金田 勝徳(かねだ・かつのり)/埼玉県立大学
榊原 信一(さかきばら・しんいち)/埼玉県立大学
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1999年 第9回
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田中 彌寿雄(たなか・やすお)/ふれあいプラザなのはな館
渡辺 邦夫(わたなべ・くにお)/幕張メッセ・北ホール
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1998年 第8回
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安藤欽也(あんどう・きんや)/パークドーム熊本
丹野吉雄(たんの・よしお)/大館樹海ドーム
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1997年 第7回
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小堀鐸二(こぼり・たくじ)/フジテレビ本社ビル
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1996年 第6回
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新谷眞人(あらや・まさと)/葛西臨海公園展望レストハウス
ハインツ・イスラー/シェル構造の発展に関する一連の業績
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1995年 第5回
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中田 捷夫(なかた・かつお)/檮原町地域交流施設
ピーター・ライス/関西国際空港ターミナルビル
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1994年 第4回
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今川 憲英(いまがわ・のりひで)/石打ダム資料館
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1993年 第3回
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斉藤 公男(さいとう・まさお)/テンション構造による一連の大スパン建築
レスリー・E・ロバートソン/建築構造家としての一連の業績
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1992年 第2回
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草場 基成(くさば・もとなり)/松下クリニック
播 繁(ばん・しげる)/大阪東京海上ビルディング
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1991年 第 1回
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川口 衞(かわぐち・まもる)/サンジョルディ・パレス
佐々木 睦朗(ささき・むつろう)/美和ロック工業玉城工場
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